最期

 ごとごとと電車が駅に向かって走ってくる。都会の電車は本数が多くて人が多いから、一本逃したところで困ることはない。電車が来たことで動く大勢の他人に肩をたくさんぶつけられても、私はその場に立ち竦んだまま。ただぼんやりと意識を失っているかのように人の流れに逆らっている。そんな私に舌打ちをする人や嫌味を言う人、小言を言う人何もかもうるさいうるさいでも聞いてない私。頭ががんがんするわけでもずきずきするわけでもなく、ただただ思考停止何も考えるな何も考えるな何も考えるな。駅に入ってきた電車に人は押し入り押し込められ、引きずられるようにして電車は駅から出て行き放送ですぐ次の電車が来ることを知る。

 これからどうしようか。私は駅でただただ悩み悩んで悩みすぎて何も考えられなくなっている。考えてはいけなくなっている。普通ならここから駅三つ行ったところの仕事場へ向かって遅刻したことを重い頭をぐらぐら揺らしてぶんぶん謝り許しを請うて、影で泣くのが正当。それが正解。けれども私はそんな人を人と扱わずただこの社会の一体どんな歯車に自分が位置しているのかわけのわからない、実は歯車にもネジにも金属にもなれていない必要のない人間のように思わせるあんな仕組みにこれ以上組み入れられるのは、もう嫌。

 多くの人が次に来る電車を待ち構え、列を成し始めた。私はその列から妙に外れた場所に突っ立っている。私の後ろに列を成した人は己の誤りに気付き、急いで隣のまた隣の本当の列の後ろに並んでいく。ああ間違えてしまってかわいそう。ああ誤らせてしまってごめんなさい。

 仕事場に行かないというのなら、じゃあどこに行こうか。ぼんやり思うがままに思考を巡らす。焦らずゆっくりじっくりと。そう、好きな人。好きな人のところに行けばいい。そこに行けば悲しみは癒え安らぎを得、幸福を手にすることができるかもしれない。一時の幸福、一時の慰み、偽りの一時。でも好きな人は私に会ってくれるだろうか。この間のデートは楽しくなかった。喧嘩別れだった。私には誠実さのかけらもないと言われて、どうしてそんなこと言われなくてはならないのかがわからなくて腹を立てて泣いて怒ってそれでさよなら。昨日、仕事場近くにあるインチキっぽい占い師のいる占いの館で占いをしたら、その私の好きな人は私のこと好きじゃないって特別想ってないって、失ってもいなくなってもなんとも思わないって、言われてしまった。ひどい占いでも信憑性のある占い。そんな私が会いに行ったところでなにが起きるというのだろう、なにが変わるというのだろう。この頭痛は、病むのだろうか。じゃあどこに行こう。北へ南へ東へ西へ、山に海に天国地獄どこへかしこへどこまでも。

 次の電車がやってきた。人が電車に詰め寄り私は端へ端へと流された。長い列は電車に飲まれ電車は人の頭と肌の色ばかり。列から外れた私はただただ人の濁流に流されながら、こういうときは実家へ帰るのが一番なのかもしれないと考えた。実家。ここより田舎で都会にはなれなかった地元。なにもなくて物はある地元。人の心を感じれなくて嫌になって逃げ出すように飛び出た実家。実家を思い出すと胸が締め付けられる。実家、親、姉妹、ペット。

 小さい頃、家で一匹の猫を飼っていた。三毛猫。捨て猫。妹が拾ったのと言って抱きかかえて持って帰ってきた。小さくて険しい目をした醜い三毛猫。常に背は丸め威嚇し尻尾をぴんと上に立てたままの三毛猫。親はそれを汚いから捨てて来いといい妹を叱ったが妹が泣き叫べばそれを許した。私がもっと小さい頃、猫を飼いたいと言って泣き叫んだのに決して許してくれなかったのに、妹の行為は許すのね。妹は特別、泣けばすべて許される親にとって愛おしい子。親は私より出来のいい親の言うことを何一つとして疑問を抱かず実行してくれる妹を愛し守り大切にした。妹は自分で世話をするのと三毛猫を自分の部屋に連れて行き、この子が私の指を噛んだと言って三毛猫を私に投げてよこした。猫は牙をむき妹を威嚇し私に大人しく抱かれた。私は猫と共に生活した。猫と一つ狭い空間で静かに聞こえるか聞こえないかくらいのか細い呼吸と会話でもって生活した。他に人がいなくても誰も私を見ていなくても猫がいれば大丈夫だった。猫は私が悲しめば側により、平常のときは程よい距離を保つ賢い猫だった。そんな猫とずっとずっと一緒だと思っていた。けれども猫はある日私のところからいなくなった。妹に聞いても知らないといい親に聞いても知らないと言い妹を問い詰め泣かせ吐かせたら、捨てたと言われた。妹の泣き声を聞いて親は私を殴り私は猫を求めて外へ出た。猫は家の近くの道路で車に引かれて死んでいた。私はまた一人になった。大切な猫、愛おしい猫、唯一私を無条件で愛してくれた小さな三毛猫。
 電車は人を詰め込み重い体を引きずるように発進した。どうしてだろうか人はいつまでも減ることなくどんどんと駅にやってくる。発進してまもなくして次の電車が何分にやってくるのか放送が入る。私を愛してくれた人はいなかったように思う。私を本当に愛してくれたのはあの三毛猫だけ。人は私を女として愛してくれたけれども人として愛してはくれなかった。中学生時代に好きだと言ってくれた学校の先生も、高校生時代に好きだよと言ってくれたサラリーマンの人も、大学生時代に愛してると言ってくれたバイト先の店長も、みんな私を女として愛してくれたけれども人としては愛してくれなかった。だって私が心を開いて話しても、それは自分勝手だとか独りよがりだとか一方的すぎとか、そんなの好きとは言わないよと言われた。私の願いを満たしてくれるのはずっと付き合えるような人ではなくて、一時的に付き合うような人しか満たしてくれなかった。

 次の電車がごとごととやってくる。いつだったか一緒に酒を飲んだ人のことを思い出す。一時的に私を愛してくれた人。私の欲しい愛情をくれた人。その日は仕事場近くの駅周辺で一人で飲みに飲んだ。このまま飲み続けたら、吐いてもどして胃液も何もでなくなるのがぼんやりと察せられる程に無理して飲んだ。それでもいいと思った。初め入った屋台はおでん屋さんで好きな具を片っ端から頼んで焼酎ロックでぐいぐいやってぐでんぐでんになり、親父が心配したのを振り払って次の飲み場に向かった。次の飲み場はおでん屋から歩いて十分もしないところで小料理屋さんで日本酒熱燗をぐいぐいとやった。気がついたらとなりに男がいた。顔も体も声も手も体臭でさえもなにもかも覚えていないけれども男だったのは覚えている。キスが強引で呼吸が荒くて気持ち悪かった男。男は君が心配なんだと言って側で私にささやいて優しく腰をさすり背をさすり頭を優しく撫でて肩を抱いて連れ歩いて強引に強引で、私はただ流されるままに愛された。もっともっと愛して欲しいと強く願った。その飲みに飲んだ日はどうしてそんなに飲んでしまったのか、いまではこれっぽっちも思い出せない。ただただ淋しくてならなかった。愛情が欲しかった。君だけを大切に想うよと愛され守られ慈しんで欲しかった。

 電車に再び人が大量に乗り込む。肩を押され体が前のめりになり躓き膝をつくかと思ったが、倒れることなくまた流される。そうだ、私は彼に頼んだのだ、その飲みに飲んだ日のデートのときに。私をもっと愛してくれと、私を大切にしてくれと。けれども彼はそれを断ったのだ。いまでも君のことを好きなのにこれ以上何を求めるのかと、これ以上どうすれば君は満足するのかと、束縛するのかと。私を愛するってどういう行為のことを指すのか、わからないと。私はただただ無条件に愛されたかった。握手抱擁キス接触混合曖昧感覚吐息。愛されるって男と女のことを言うんだろうか。もっともっと温かい愛が欲しい。ただ手を繋いでいるだけの愛や、ただ抱きしめるだけの愛や、ただ頭を撫でてくれるだけの愛が欲しい。恋人とするような愛ではなくて、人と人の繋がりのなかで生まれる温かい愛が欲しかった。愛して欲しかった。けれども彼には理解されなかった。拒絶されたから、私は絶望したのだ。ただ、私が悲しんでいるときに、そっと頬を温かい舌で舐めてくれるかのようなあの三毛猫が私にくれたような愛情が欲しかっただけなのに。

 昨日、電話がかかってきた。一本の電話。現実の電話。仕事中の電話。もう別れようと。君のしたことを許せないと君の愛情が重いと君のような人とはもうつきあえないと。事務的にその言葉を処理して日常業務にもどって、ああ彼もまた私を愛してくれなかったと、ただそれだけだった。もうどこにも私を愛してくれる人なんていないのだ。だって社会は私を必要としていないかのような歯車でもって運用されているし、好きな人は私を好きでなくなったし、私の欲しい愛情を与えてくれる人は一時的にでしか私を満たしてはくれないのだから。

 電車が出て行きまたしても入ってきた。途切れることのない人の波。この人たちは社会に必要とされている人なのだろうか。それとも他人に必要とされている人なのだろうか。愛されている人なのだろうか。私とは違う人がこんなにもたくさんいるというのに、どうして私の欲しいものは何一つとして手に入らないのだろう。どこに行っても変わらないのだ、現実は。いつの間にか私は黄色い点線の上に立っていて、駅員さんが私に危ないから下がりなさいと声を張り上げていた。違う。そういう愛が欲しいんじゃない。とん、と前へ出た。日常ではできないちょっとした行為。体がふわっと軽くなってすぐ重力にひっぱられた。

 すぐ横に電車が来たその瞬間、思い出した。三毛猫が死んでしまってその死体を見て泣き佇んでいた私の頭を、そっと撫でてくれた親の手の、温かさと大きさを。その愛情を。